海のコモンズ・山のコモンズ

「コモンズ」という考え方に注目している。しばしば「共有地」とも訳されるコモンズとは、公的(パブリック)な領域と、私的(プライベート)な領域とに挟まれた、共的な領域を表す概念である。「誰かの土地」ではなく、あるコミュニティに所属する人たち「みんなの土地」として、管理や運営も「みんな」で行うことになる。

コモンズが、コモンズであり続けるためには、利用者の主体性と当事者意識、そして他者を思いやりながらの節度ある利用が求められる。よく例として使われるのが、放牧地の問題である。放牧地は誰もが利用できる共有資源であるが、利用者がそれぞれ自己の利益を最大化しようとして家畜の数を増加させていくと、牧草が再生されるスピードよりも、家畜が牧草を消費するスピードが上回り、やがて荒れ地となってしまう。これ現象は、「コモンズの悲劇」として知られている。「今だけ、金だけ、自分だけ」という価値観では、長期的に見て、コモンズの維持・発展は望めない。

人間は、自然の恵み抜きに生きていくことができない存在である。近代化とともに失われていったコモンズを、21世紀的な文脈の中で再び復活させるプロセスは、現代社会が、自然とどのように関わりながらコミュニティを形成していくべきなのかという持続可能性にまつわる問題についての古くて新しい価値観を手に入れるための、一種の「リハビリ」にもなり得る。こう書くと難しそうに聞こえるかもしれないが、要は、身の回りにある自然環境に感謝しつつ、コミュニティの仲間たちと楽しみながら、その恵みを分けて頂くような文化を育てていきませんか、という呼びかけである。

先日、神奈川県の逗子海岸を日曜日に訪れる機会があった。砂浜では、海と富士山を臨みながらのヨガ教室が行われ、ランニングをする人、マリンスポーツを楽しむ人、釣りをする人などが無数にいる中、子どもたちは「遊び場」として走り回り、親たちは海を眺めながら談笑するという姿を見た。平日は保育園の「園庭」としても使われるこの場所では、地域の女性陣が中心となって漁業権も取得し、自分たちでわかめも育てて販売している。自然の恵みは、コミュニティに余りある価値をもたらしてくれる。

海の街には海を使ったコモンズの復活があるように、山の街には近隣の里山を中心としたコモンズの再創造の可能性がある。信州の未来の姿は、こうした日々の取り組みと営みの先にあると信じている。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科教授=松本市)