海からの文化・山からの思想

海のある街は、どこか開放的な雰囲気に包まれている。もちろん、気候も重要な要素なので、より正確には気候が良くて海がある街は、ということになるだろう。ハワイのような南国の島は、時にハリケーンなど大自然の厳しさと隣り合わせではあるが、普段は穏やかで、ゆったりした空気が流れている。アメリカのカリフォルニア州に位置する多くの海の街にも独特のエネルギーとカルチャーが根付いている。「西海岸」に住む者の特権は、海に向かって沈む夕日を日常の風景として楽しめるところにある。こうした自然由来の天体ショーも、海辺の街ならではのカルチャーを生み出す重要な要素かもしれない。

海辺の街は、新しいカルチャーやライフスタイルと共に、新しい産業も生み出してきた。ロサンゼルスは、ハリウッドに代表されるエンターテイメント産業をリードしてきたし、サンフランシスコのベイエリア南部にあるシリコンバレーは、数多くのテック企業を生み出し続けている。より古くは、大航海時代のスペインやポルトガルから、海の向こう側にあるはずの新天地を目指す旅が行われたり、19世紀の覇権国となったイギリスが海での優位を活かして大英帝国を築いていったりもした(もっとも、植民地主義などの「負の遺産」も、同時に世界を覆うことになったのではあるが)。

そんな背景もあってか、海の街に憧れる人は多い。実は、筆者もそんな一人だった。海の街独特のカルチャーに憧れ、ヨーロッパ、北アフリカや中東、アジア諸国、アメリカの西海岸と東海岸、オセアニア諸国、太平洋にあるいくつもの南の島など、多くの海の街を体験してきた。どの街も魅力的で、再訪したいと願っている。

海に開放的な雰囲気があるとするなら、山にはどこか閉鎖的な雰囲気がつきものである。しかし、それは決して悪いことではない。海の街は、時々のカルチャー(文化)を生み出すことを得意としているかもしれないが、時代を変えうる「深い思索」や「思想」は、山から生まれてきたというのが過去の人類史である。空海が開いたという高野山を訪問した際、その宗教的な街があまりにも山深い場所にあったことに驚いた。

世の中には安定期と変動期とがある。古今東西、変動期には、宗教家や思想家は山にこもってきた。そして今、人類は、いよいよ変動期に突入しはじめた。山の街である信州まつもとには、新たな時代を切り拓いていくための「思想」を育む力があるはずだと信じている。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科教授=松本市)