スモール・イズ・ビューティフル

「スモール・イズ・ビューティフル」『市民タイムス』2018年1月1日。

謹賀新年。新しい1年がはじまった。紙面を通してではあるが、こうして地域のみなさまと接点が持てることの幸せを感じている。今年もまた、読者と共に「地球紀行」を楽しんでいきたい。

新年を迎え、改めて考えてみたいのが「規模」をめぐる問題についてである。歴史を振り返ってみると、われわれ人類は「大きいこと」「強いこと」への憧れを持ち続けてきたように思われる。特に産業革命以降の社会では、「より大きく」「より強く」「より速く」「より多く」を求めてきた。列車のスピードも、都市の大きさも、軍隊の能力も、国家や個人の富も、あらゆる領域で最大化や極大化は「正義」であった。

過去形で書くのは、そうでない価値観の先に、これからの社会の姿があると考えているためである。E・F・シューマッハーによる名著『スモール・イズ・ビューティフル』が出版されたのは、1973年のことであったが、約半世紀の時を経て、やっと現実社会が追いつきはじめたということなのかもしれない。「大きいことはいいことだ」というのは一つの価値かもしれないが、それは本当に一つの価値でしかない。「小さいこと」もまた、かけがえのない価値なのである。

世の中には、大きくなければできないことがある一方で、小さくなければできないこともある。日常的に、東京と松本とを往復する生活を送っているとそのことを痛感する。個人で何か新しいことにチャレンジしようと思った時、東京ほどの規模があると、気軽にはじめるというには、ハードルが高すぎる。どこかの場所を借りるにしてもまとまった資金を要求されるし、少し尖ったことをやろうとしても、東京の大きさとスピードの中で簡単に埋もれてしまう。逆に、ほどよいサイズの都市であれば、キーパーソンともつながりやすいし、新しいチャレンジも埋もれにくい。

急激な環境変化に直面した時、絶滅してしまったのは巨大な恐竜たちであったが、生き延びたのは、恐竜の足下を走り回っていたわれわれ哺乳類の祖先であった。2018年も引き続き、先行き不透明な時代が続くだろう。予想もしていなかったような、急激な変化が待ち構えているかもしれない。大きなものに憧れ、追い求める時代は過去のものとなった。スモール・イズ・ビューティフル。小さいものが持つ「美しさ」に自覚的になった先に、不透明な未来を突き抜け、次の時代を切り拓いていくためのヒントが潜んでいるに違いない。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科准教授=松本市)