次世代リーダーへのバトン

宮城県女川町を訪問してきた。女川町は、2011年の東日本大震災に際して津波で壊滅的な打撃を受けたことで知られている。この悲劇は、多くの人命も奪った。犠牲者の数は、827名で、人口の1割に相当する。震災前の家屋数は、約6500戸であったが、その7割以上に相当する4745戸が流出被害にあっている。町が受けた被害の「割合」という意味では、女川町は被災地の中でも際立つ存在となっている。

そんな女川町は、「復興」のトップランナーとして、近年注目を浴びるにいたっている。世界的な建築家である坂茂のデザインによって完成したのは、街の中心部に位置する、女川駅である。駅前通りには、統一されたデザインによる商業施設が軒を並べる。町役場、郵便局、銀行、学校、病院など、この中心街から徒歩圏に配置されており、「歩く町」として再設計されている。2011年の教訓を活かし、盛り土をしているので、100年に1度レベルの津波では、この商業区域が浸水しないように設計されている。また、住宅エリアはさらに高台に設置されており、前回レベルの1000年に1度という津波であっても「住居と命」を守れる設計になっている。高い防潮堤による災害対策という選択肢をとらなかった女川町は、街の中心部から美しい女川の海の景色を楽しむことができる。

こうした復興の立役者は、「次世代のリーダー」たちであった。震災直後に立ち上がった女川町復興連絡協議会において、商工会の会長が「還暦以上は口を出すな。未来のある若者たちが町を作れ」とのスピーチをしたことで、一気に「次世代」たちにスポットライトが当たった。当時30代の若い町長を中心に、公と民とがフラットな関係で、お互いに自立しながらも協調して街づくりを行っていくさまは、公民連携モデルの1つのお手本とも言えるだろう。リーダーたちが、みな、「未来」と「町の子どもたち、そしてまだ生まれていないがいずれ生まれてくる将来の命」を見据えて何がベストかを徹底的に議論する文化もこの時に生まれた。

松本市では、3月15日投開票の市長選が盛り上がりを見せている。この選挙は、松本市民一人一人が、松本という街をさらに良くしていくにあたって、どんな「次世代リーダー」と共に歩んでいきたいのかを決める重要なものである。世界も、日本も、地方もこれから激動の時代に突入する。そんな中、「未来」を見据えながら、希望溢れるビジョンを示すのは、トップの役割である。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科教授=松本市)