引退が存在しない世界

この先、先進諸国が直面すると言われている問題は多い。各国に個別な事情もあるが、共通する課題もある。共通して直面する課題の中には、人類の寿命が延びることに関するものがある。国連の推計によれば、2050年までに、日本の100歳以上人口は100万人を突破する見込みだという。また、2007年に日本で生まれた子どもの半分は、107年以上生きると予想されている。今、50歳未満の人は、100歳生きる「覚悟」をもった方が良い。「人生100年時代」が現実化しようとしているのである。

「人生100年時代」には、これまでの人生設計の常識が通用しなくなる。こう警告するのは、ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授らである。産業社会が進展していく中で、先進諸国の人びとは、「教育ー仕事ー引退」というライフステージを想定して人生を計画してきた。20歳前後まで教育を受け、仕事を始め、定年まで勤め、定年後は、退職金と年金で生きていくという人生観である。ところが、「人生100年時代」にはこうした生き方が困難となる。60歳で引退すると、残りの余生は40年である。これからの先進諸国には、40年間十分な年金を支給するだけの財政的余裕がない。また、退職金で、40年間生きていくというのも非現実的である。

つまり、「人生100年時代」を別の言葉でいえば、「一生働くことになる時代(引退という概念が無くなる世界)」ということになる。こう聞くと、思わず顔をしかめる読者も多いことだろう。しかし、これは、高い確率で実現するであろう近未来なのである。

「あなたは一生働くことが出来ますか」という問いには、2つの意味がある。1つは、体力的に働くことが出来るかという意味であり、もう1つは、能力的に社会から求められる何かを持っているかという意味である。この点に気づいた人には、2つの変化が現れる。第1に、健康管理にこれまで以上に気をつけるようになる。第2に、「常に学び続ける」態度を取るようになる。20歳前後までに身につけた学びで、100年を走りきることは難しい。常に、自分を「バージョンアップ」させないと、すぐに通用しない人材になってしまうためである。

常識は、時代の変化と共に非常識となる。現在の常識は、未来の非常識なのである。これが、人類の歴史でもある。さて、読者諸兄は、「人生100年時代」を生きる準備はできているだろうか。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科教授=松本市)