ライブ演奏の価値

「ライブ演奏の価値」『市民タイムス』2017年8月24日。

インターネットの発展は、音楽を取り巻く環境も一変させた。デジタルの特性は、複製が容易なところにある。今や、著作権法上違法なものも含めて、ネット上には無数の音楽コンテンツがアップロードされている。そんな中、合法な音楽体験として最近人気を集めているのは、音楽のストリーミング配信である。月契約をすると、ストックされている数千万曲の音楽が聴き放題となる。時折挿入されるコマーシャルを受け入れさえすれば、無料で同様のサービスを受けることもできる。

こうした背景もあって、昔に比べると今は「CDが売れない時代」になったと言われている。デジタル全盛となり、インターネットにさえつながれば数千万曲という膨大な量の楽曲に簡単にアクセス可能となった。他方、こうした現状の中で一段と価値を高めているのは、限られた人数の観客とミュージシャンとが同じ時間と空間を共有するライブ演奏である。デジタルを介して、とあるミュージシャンの音楽に「触れる」ということと、実際に生身のミュージシャンにリアルに「出会う」ことの間には大きな隔たりがある。デジタル時代だからこそ、身体性を伴うアナログの世界の価値が向上しているのである。

筆者も企画に携わる形で先日(8月20日)開催した「マツモト・サンデー・マーケット」では、プロ、アマをあわせて、地元にゆかりのある人びとを中心に計9組ものライブ演奏が披露された。お客も出店者も、大人も子供も、ライブならではの音楽体験を存分に楽しんだ。

コンサートホールで聴くオーケストラの演奏も素晴らしいが、ストリートに近いレベルでの音楽もその街の文化を担う存在である。松本には、「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に代表される世界レベルの音楽にアクセスできる環境がある。ただ、松本を含め長野県内で複数のライブハウスを展開する経営者によると、県内の他の街に比べても松本はライブ演奏の集客に苦労する街だという。それなりに名の知れた有名なミュージシャンのライブであっても、状況はさほど変わらないそうだ。

その街の文化の度合いは、その街の住民次第で大きく左右される。世界レベルのクラシック音楽も、ストリートレベルの音楽も、共に演奏者に敬意を払いつつ支えられる街に松本がなってくれればと願う。デジタル時代の今だからこそ、複製不可能であり、その場限りで消えてしまうライブ演奏の価値を再確認する時なのだと感じている。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科准教授=松本市)