効率性の落とし穴

「効率性の落とし穴」『市民タイムス』2016年4月18日。

新年度がスタートし、今年もフレッシュな新入生たちを迎え入れた。私の所属する学科では、入学後すぐに2泊3日の新入生合宿を行い、最終日にはグループごとにプレゼンテーションをする習わしになっている。

中でも印象に残ったのは、「効率性」をテーマにした発表であった。ついこの間まで高校生だった彼女たちなので無理もないが、これまで「効率性は善であり非効率性は悪である」という価値観に疑いを持ったことはないそうだ。確かに、効率性という価値観には抗しがたい魅力が潜んでいる。

近代という時代は、効率性追求の歴史であったと見ることもできる。また、効率性と成長はセットでもあった。より良く、より便利に、という人間が持つ根源的な欲求を抑えることは難しい。ところが、有限な地球において無限に成長し続けることは不可能である。頭ではわかっていても、実感としては湧かないし、ましてや自分の行動を変えようとも思えない。だが、ここに落とし穴が潜んでいる。

サンタフェ研究所の物理学者であるジェフリー・ウェストは、都市のサイズに関する興味深い研究を行っている。彼の研究によれば、都市のサイズが大きくなればなるほど、一人当たりのエネルギー消費量は減少するが、逆に一人当たりの富や収入は増加するという。都市の拡大は、エネルギー節約と経済成長をもたらすのである。若者たちが、地方から都市を目指すのも無理はない。

よいことずくめのようだが、ウェストは同時に、システムは必ず崩壊するという指摘も忘れない。そして、システムの崩壊を回避するためには、何らかの革新が必要であり、その革新のスピードはどんどんと加速していかなくてはならないという。有限な地球において、果たしてそれは可能であり続けるのか。ウェストは、ここに落とし穴があるとする。

効率性の追求は、都市化を進行させる。都市そのものも、ますます効率的になっていく。無駄は嫌われ、排除される。こうした世界は平時には威力を発揮するが、非常時には極めて脆弱である。東京のラッシュ時には、秒刻みで電車が行き交うが、ひとたび何かが崩れると、すぐにホームから人があふれ出してしまう。

何かを得るということは、何かを失うことを意味する。失った後で気がついても、簡単に取り返せないものも多い。それが、効率化のように一見善に思えるものであっても例外ではない。「常識」すら疑う態度が、先行き不透明な時代には不可欠なのである。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科准教授=松本市)