「傷つく心」が持つ力

弱いことは、悪いことだろうか。強くあるべく、努力をしなければダメなのだろうか。実際のところ、強く見える人だって弱さを抱えているし、むしろ弱さの裏返しとして強く振る舞っているだけなのかもしれない。誰にでも弱さはある。心の問題で言えば、それは繊細さとして表現できるかもしれない。繊細であるということは、敏感であるということでもある。こうして考えてみると、敏感さを全てネガティブに捉える必要はないし、敏感だからこそ察知できるものだってあるはずである。

筆者が大学にて担当している講義に「基礎概念」というクラスがある。1年次の前期、後期の必修授業であるこのクラスでは、「グローバル・シティズンのための101のコンセプト」を単に理解するだけではなく、それぞれのコンセプトを場面に応じて使いわけられるようになるを目的に、学科の専任教員全員によるチーム・ティーチングを行っている。筆者がお気に入りのコンセプトの一つに、「#ヴァルナビリティ」というものがある。一般的には「傷つきやすさ」などと訳される英単語であるが、コンセプトとしては「傷つく心が持つ力」として捉えてもらっている。

人が何か新しい挑戦をしようとするときには、「失敗するかもしれない」、「嫌われるかもしれない」、「理解してもらえないかもしれない」と、怖れや不安が出てくるものである。これらが現実のものになれば、当然のごとく自身の心は傷つくことになる。心が傷ついて、喜ぶ人はいない。落ち込むし、嫌な気分になる。

社会心理学などの研究成果によると、人間は、こうした事態を避けようと、あえて鈍感力を増し、怖れや不安を麻痺させることができるということがわかっている。これで問題解決かと思えば、そうでもない。人は感情を選択的に麻痺させることはできないので、怖れや不安の気持ちを麻痺させてしまうと、同時に、喜びやワクワクといったプラスの感情もなくしてしまうことになるという。

つまり、もしも皆さんが、「傷つく心」を感じているのならば、それは本人にとって極めて大切な行動を起こそうとしている可能性が高いということでもある。このコンセプトのキモは、本当の勇気は、こうした弱さを認めた先にあると理解し、「傷つく心が持つ力」に敏感になるという点にある。これからの社会は、大胆な挑戦が必要な課題が山積みである。不安とワクワクは隣り合わせだと自覚して、大いに挑戦を続けていきたい。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科教授=松本市)