聞こえない音を感じる幸せ

厳しい暑さも少し和らぎ、朝晩の涼しさを感じるようになってきた。信州の夏も終わりに近づいているというサインなのかもしれない。松本に住むようになって、「山」との距離が一気に近くなったが、信州の自然の一部である「湖」との距離は遠いままであった。そんな中、「野尻湖で遊びましょう」というお誘いを頂いた。これはまたとないチャンスだと思い、信州の夏の思い出として、家族でお邪魔させて頂いた。

遊びの内容は、野尻湖でのシーカヤック体験で、言ってみれば「湖上の散歩」である。本来、海で使うことを想定して作られたシーカヤックであるが、もちろん湖で使うこともできる。天候に恵まれたため、シーカヤック体験ゼロであった妻や娘も、安心して楽しむことができた。「視点を変える」という行為は、ものごとを批判的に検討するために有用な手段であり、時に新しい着想を得ることができる。この点、シーカヤックを使って「陸から離れる」ことは、水の上から陸を眺めることを可能にし、普段の生活では決して見ることのできない景色を眺めることを可能とする。私がシーカヤック体験を愛している理由の一つは、ここにある。

これまで遠い存在であった「湖」の上を散歩することで感じたのは、明らかに「体が喜ぶタイプの運動をしている」という実感であった。適度な運動が体メンテナンスにとって有益であることはよく指摘されることであるが、どんな運動をどの程度するのかということに加え、どこで運動をするのかという場所も重要である。どうやら、湖畔の運動で「体が喜ぶ」のは、「聞こえない音」に秘密があるようである。水辺や森の中は、人間の耳が認識できないような高周波の音が発生しているという。その発生メカニズムは科学的にも完全に解明されているわけではないようであるが、虫はこれらの主要な発生源であるという。生物の多様性が確保されるような場所だからこその恩恵、だと言えるだろう。たとえ耳で認識できなくても、体は「感じる」ことができる。だからこそ、都会では味わえない深いリラックス感を享受できるというわけだ。

大都会でなければ得られないものは確かにあるが、他方、信州のように自然が豊かな場所でなければ得られないものもある。そして、後者の豊かさは、どれだけお金を積んだとしても、人間の持つ技術では決して作り出すことはできない。自然の恵みに感謝しつつ、信州に住んでいることの幸せを感じる夏の一日となった。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科教授=松本市)