「外」につながる価値

これからの観光開発、地方創生、地域コミュニティのあり方を考える上でのヒントを探るため、鹿児島に滞在している。鹿児島には、食、温泉、景色、歴史、文化など、観光の魅力が詰まっている。歴史についていえば、特に、江戸末期から明治維新にかけての薩摩藩の存在感はあまりにも大きい。

数度の鹿児島訪問では、ガイドブックに載っていないような小さな町を含め、多くの場所を訪れ、何人もの方にインタビューさせて頂く機会を得た。その結果見えてきた鹿児島の魅力の源泉は、実に多岐にわたるが、筆者の心に強く残ったのは「外とのつながり」の重要性である。

地図の南北をひっくり返して鹿児島を眺めると、この地が「外」とつながる上で地理的に恵まれていたことがよく理解できる。薩摩半島、大隅半島のすぐ先には種子島、屋久島があり、その先には奄美諸島、沖縄諸島が広がっている。さらに先には、台湾があり、香港がある。江戸から離れていたことも幸いしたのだろう。鎖国政策の下でも、薩摩藩は、琉球を通じて外とつながり続けていたことは有名である。

薩英戦争で甚大な被害を受けてからは、より積極的に外とのつながりを求めている。確信犯的に鎖国の禁を破り、19名の若者を留学生としてイギリスに送り出したのである。後の外務卿である寺島宗則や、初代文部大臣の森有礼も、この時に渡英したメンバーである。留学生が出発したのは羽島と呼ばれる地であるが、今は、いちき串木野市の一部となっている。

歴史的に外と縁のあるいちき串木野市であるが、外とつながりは今も続いている。この町は、マグロ漁船の船籍数日本一を誇る遠洋漁業の基地でもある。船員さんが外国で覚えたのか、県内の自家焙煎コーヒー発祥の地としても知られ、個性的な喫茶店がいくつも存在する。さつま揚げ発祥の地でもあり、全国的に有名な焼酎蔵も軒を並べる。最近では、外国や東京など「外の世界を見てきた」跡取りたちがこの町に戻り、新しい感覚で家業を継ぎつつ、さらなる高みを目指した挑戦を続けている。外とのつながりは、この町の魅力を生み出している大切な要素である気がしてならない。

さて、今や21世紀。外とつながるための手段や技術は、大いに拡充されている。山には山なりの、外とのつながり方があるだろう。信州まつもとのこれからを考える上で、「外とつながり続けること」の価値に意識的でいたい。それが、鹿児島旅行で得た教訓の1つである。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科教授=松本市)