分断と連帯の国際社会

どんな時代でも「常識」というものは、脆く儚いものなのかもしれない。そんな思いに駆られるのは、新型コロナウイルス感染症に対する、国際社会の取り組み方を見ているからであろう。

1989年にベルリンの壁が崩れ、1991年にはソ連が崩壊した。1991年には、湾岸戦争が勃発したが、アメリカを中心とした多国籍軍を編成するプロセスでソ連はアメリカに協力している。まさに、「冷戦後」を象徴するかのような出来事であった。国際政治学者たちは、「ポスト冷戦期」をどのように特徴付けるべきか議論を続けてきたが、今振り返ると、この時代はグローバル化の時代であり、国際協調や国際的な連帯を模索した時代だったと言えそうである。

こうした動きは、21世紀に入っても続くことになる。21世紀初めの年である2001年は、「9・11アメリカ同時多発テロ」で幕を開けた。この時、アメリカと同盟関係にある国はもちろんのこと、そうでない国も、国際的なテロの防止や根絶に向けた協力や連帯を表明した。同様に、2008年に発生した世界金融危機(リーマンショック)が起きた際も、世界各国の政府と中央銀行とが国際的に協調することによって危機を乗り越えようと努力を続けた。

翻って、今回のパンデミックに対する各国の取り組みでは、ポスト冷戦期を特徴付けるような国際的な協調も連帯も影を潜めている。グローバル化によって低くなっていた国境の壁は、再び極めて高いものになっている。それが新型の感染症に対する有効な手段だということもあるが、国際協調路線から自国優先主義へという流れは、今回のパンデミックを契機に一気に加速したようにも見える。「アメリカ・ファースト」を公の場所で明言するトランプ政権だということもあるとはいえ、国際的なリーダーとして振る舞ってきたアメリカの国際社会での存在感がまったく見られない。

こうした国際社会の「常識」の変化の影響を受け、特に苦しめられるのは、新興国や発展途上国である。多くの途上国は、財政政策上も、金融政策上も、医療体制上も単独で対処する力を持っていない。そしてこれは、実は、途上国だけの問題にとどまらない。仮に先進国がウイルスの制御に成功しても、途上国で蔓延していれば、先進国はいつまでもウイルス還流に悩まされることになる可能性が高い。世界も人類もつながっているのである。そんな中、分断か連帯か、今、世界は大きく揺れている。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科教授=松本市)