街を食べる

「街を食べる」『市民タイムス』2016年11月29日。

先日、ちょっぴり風変わりなバーベキューパーティに参加する機会があった。「休日のお昼時に、海辺の砂浜で行うバーベキュー」と言えば、それほど珍しい印象を受けないかもしれない。ただ、「会のスタートは前日の夜から始まる」と言ったらどうだろう。

このバーベキューパーティは、「街を食べる」というコンセプトのもと、神奈川県の逗子市に住む有志が街の人に呼びかけて行われたイベントである。なぜ、前日の夜から始まるのかと言えば、逗子の海水を使って手作業で塩作りを行い、出来上がった「逗子塩」を使ってバーベキューを楽しもうという企画だからである。塩だけではない。このイベントでは、逗子という街がどの程度食糧調達の可能性を秘めているのかを体感するために、街にある食材を集めてくるのも参加者に課せられた重要なミッションなのである。

「海の街」らしく、ひじきなどの海藻を持ち寄る人もいれば、家庭菜園でとれた新鮮な野菜を持ってくる人もいる。中には、明け方から釣り糸をたらし、数時間かけて20匹以上も魚を釣ってきた強者もいた。仮に街で採れたものでないものを持ち寄る場合でも、その食材や料理に「何らかの語れるストーリー」があることが条件となっている。

お昼前には、砂浜に用意したテーブルに溢れんばかりの食材が並び、その食材の横には手書きで食材にまつわるストーリーが添えられた。小さな子供たちは砂浜で走り回って遊び、少し大きな子供たちは大人たちに混じって火起こしや調理を手伝い、その他の大人たちは飲み物を片手によく晴れた砂浜で談笑するという、和やかな秋の昼下がりとなった。

実は今、先進的な都市で、「食」を通じた社会変革や問題解決をしようという動きが注目されはじめている。都市の空き地やビルの屋上、学校の校庭などを「農地」としているのである。背景には、新鮮な野菜へのアクセスが難しいほどの経済格差の広がりや、災害対策、「工業的」な食糧生産が蔓延する中、少しでも食を自分たちの手の届く場所に取り戻そうといった動機など様々なものがある。『都市を耕す:エディブルシティ』という映画も公開されている。

食べることは生きること。食という人間の根源的な営みを「どこかの誰か」にコントロールされるのではなく、なるべく自分たちの目の届く範囲に取り戻す。そして、食を通して、失われつつあるコミュニティを活性化させる。次の時代の社会のあり方を考えさせられた、秋の収穫祭となった。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科准教授=松本市)