「体験の質」へのこだわり

「『体験の質』へのこだわり」『市民タイムス』2016年8月22日。

「岳都・松本」は、その名の通り山と親しみやすい環境が魅力である。我が家も、記念すべき第1回「山の日」には美ヶ原に、その翌週には八方池へとトレッキングに出かけてきた。どちらも標高約2000メートルである。この高さにまで上がることの楽しみは、この高さにまで来ないと決して見ることのできない景色を目にすることができる点にある。

ここ数年「登山ブーム」などと呼ばれているようであるが、すでに一過性のブームであるというよりは、幅広い年齢層の間で山と親しむスタイルがかなりの程度定着してきたようにも感じられる。常々、「これからの時代は自然との距離感のバランスがすべて」とあらゆる機会を捉えて主張している私としては、現代の日本でも自然と触れあおうとする人々が増加しているというのは、多くの人が本能的にこれからの時代の本質をかぎ分けている結果のように思えてならない。

日常的に自然に触れ、自然の美しさに感動する経験があれば、連動して環境意識も高まることになる。この点は、かつて筆者が、ニュージーランドでの国立公園の管理について現地のネイチャーガイドや環境保全省の担当官と議論した時に大いに盛り上がったテーマだった。ニュージーランドでは、環境保護を促進するために、「人を立ち入らせない」のではなく、「節度を持ちつつあえて人を立ち入らせる」アプローチを採用しているという。

実際に大自然の中に佇み、自然の美しさに感動してもらうことこそが、環境教育にとって重要であるという考え方である。ここでのキーワードは、「体験の質(quality of experience)」である。最高の自然体験こそが、最良の環境教育だと信じるからこその規則も多い。

たとえば、トレッキングのトレイルでは、区間ごとに入ることのできる人数を制限している。大行列の中で歩いていては、前後のペースが気になるし、気がつくと周りの自然ではなく前の人の頭ばかりを見ていたなどということになりかねない。もちろん、ビジネスの観点からは、人をどんどん入れるに越したことはないのだが、そうはしないのがニュージーランド流だという。

日本には日本の事情があり、単純にニュージーランドの真似をすれば良いというものではないのだろうが、「体験の質」へのこだわりという視点は、日本でも現代社会と自然とのバランスを考える上で多くのヒントを与えてくれることになるのではなかろうか。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科准教授=松本市)