大学で学ぶべきもの

「大学で学ぶべきもの」『市民タイムス』2017年3月10日。

卒業の季節である。毎年この時期になると、4年生を社会に送り出すことになる。入学当時の彼女たちのことを思い出してみると、4年間で随分と成長したなと驚くと共に、うれしい気持ちになる。

学生たちを見ていて特に印象深いのは、高校生から大学生へと変わっていく瞬間である。生徒から学生への変化と言ってもよいかもしれない。学校教育法は、高校生を生徒と呼び、大学生を学生と呼ぶよう定めているが、この呼称の変化は「学力観」や「学ぶ」ということに対して、本質的な違いがあることを示している。

生徒とは、すでに教わるべき何かが明らかになっているものに対して、教師から教わりながら勉強する存在である。対して、学生は、(生徒的な学習の要素がゼロではないものの)1つの決まった正解がないような問いに対して自ら能動的に学んでいくという姿勢が期待されている。

両者の間では優秀さの基準も異なってくる。典型的な「優秀な生徒」とは、先生の言うことをよく聞き、先生がやりなさいと言ったことをしっかりやり、やってはいけないということをやらないタイプである。ところが、このようなタイプは、「優秀な学生」にはなりにくい。「優秀な生徒」のままでいると、「言われたことはやってくるが、言われていないことはやってこない」という評価の学生になってしまいがちである。大学教員から見て、面白い学生だな、優秀な学生だなと映るのは、教員の言うことであっても疑い、言われたことをやるだけではなく、場合によってはあえてやってはいけないことを試してみるようなタイプの学生であったりする。

大学を卒業し、社会人として直面する問題のほとんどは、1つの決まった正解など存在しない。ますます混迷の度合いを高めそうな世界情勢からしても、これからは人生において予期しない出来事に突然直面することも増えるに違いない。

理論物理学者のアインシュタインは、「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れてしまった後に、なお自分の中に残っているものをいう」と言ったそうだ。いつまでも自分の中に残るものとして、大学という場所で身につけておくべきは、1つの決まった正解のない問いに直面した時に、自分の力で自分なりの回答をなんとかして導き出すという態度と方法であろう。これらは、一度自分のものとすれば、忘れることはない。全国の大学4年生たちが、新社会人として、大いに活躍することを期待したい。祝・卒業。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科准教授=松本市)