地球社会の時代

「地球社会の時代」『市民タイムス』2015年6月26日。

世界をどう捉えるか。朝も、夜も、旅先でも、時には食事中も、とにかく暇さえあれば、このことばかり考えている。まあ、「暇さえあれば」というのは誇張であると認めなくもないが、この仕事をしている時は時間を忘れて没頭できることは確かである。

これまで、世界について語るには「国際社会」という用語がよく使われてきた。だが、私自身はあまり使わない。かわりに「地球社会」という表現を使うことが多い。二つの用語をかなり意識的に使い分けている。

国際社会の国際は英語で「インターナショナル」であり、「国家と国家の間」という意味をもつ。近代国民国家が世界の主役だった時代には適していたのかもしれないが、今や国家間の関係だけを考えていれば世界がわかるという時代ではない。

その点、私が「地球社会」という言葉を気に入っているのは、資源、エネルギー、生態系といった、自然科学が扱ってきた領域も含んだ概念であるからだ。地球に暮らす生物としての人間という視点から世界を捉えなおすことは、これからの時代を考えるにあたって不可欠な知的作業である。

個人的経験では、「感覚的に」このことがスッと腑(ふ)に落ちるのは、圧倒的に地方に暮らす人に多い。「それはそうかもしれないけど……」とか「そうは言っても……」などと、ネガティブな反応を示すのはたいてい都会人だ。この違いは、普段の生活と自然との距離が大いに関係していると思っている。

エネルギーの大量消費が可能だった20世紀は、ニューヨークやパリや東京といった大都市の時代だったかもしれないが、21世紀は自然とのバランスが上手な街と地域の時代だと思う。世界を旅しながら感じるのは、すでにこうしたシフトがいたる場所で始まっているということだ。その点、松本と周辺エリアは、これからの時代をリードするための潜在力にあふれている。

ということで、このコラム「地球紀行」では、世界を「地球社会」という視点から旅しつつ、これからの松本を考えるヒントを探ってみたいと思っている。お付き合いのほど、よろしくお願いします。

(やまもと・たつや、清泉女子大学文学部地球市民学科准教授=松本市)